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 頭がいい人、悪い人の話し方の違いとは?8 ~ゲーテに学ぶ:「弁証法患者」になってませんか?論破したくてたまらないときの処方箋~

 

本シリーズ一貫したテーマです(すでに読まれた方は下記の「ヘーゲルを叱ったゲーテ」へお進みください)

令和の現代は「多極化の時代」とも呼ばれ、SNSで情報の民主化、ブロックチェーンにより「金融の民主化」ともいえる自由な時代になりました。有史以来、人間がこんなに自由を手にしたことはあったでしょうか。しかしながら、急速に社会が変化していく中で、何がどうなっているのか、もう少しスピードを落として、そもそも現代以前、近現代から人間社会の営みを遡って何かしら真理を得たい!という方のために、本日は[ゲーテの告白 日本を滅ぼす「B層」の正体 (適菜 収/著)]より、学びのある一説をご紹介いたします。本書は慣れていない方には少々辛口でショッキングな内容かもしれませんが、切れ味の鋭さは一級品です。

※「B層」とは、もともと広告業界で誕生し、その後もろもろ市場調査上での一つの指標となった概念です。気になる方はググってみてください。

(引用ココから↓)

◆ヘーゲルを叱ったゲーテ

 

ある日、哲学者のヘーゲルがゲーテのもとを訪ねてきました。

ゲーテもヘーゲルを歓迎します。

ご存じの通り、ヘーゲルは、ドイツ観念論を完成させたといわれる哲学者です。「世界史は神の意志の実現過程」という彼の歴史哲学は、基本的にはキリスト教の終末論をベースにしたものです。

若いヘーゲルはゲーテの前で自分が編み出した弁証法の自慢をします。

「それはつまり……だれの心にも宿っている矛盾の精神を法則化し、方法論に完成させたもの以外のなにものでもありません。こうした能力は、真と偽を区別する際に偉大さを証明するものです。」

ゲーテは大人なので軽くたしなめました。

「そうした精神の技術や有益性がみだりに悪用されて、偽を真とし、真を偽とするために往々にして利用されたりしなければいいのだがね!」

ヘーゲルはムキになります。

「そういうことは、よくあるものですが……しかし、それは精神の病める人たちだけがやることです。」

ゲーテはこう答えました。

「それなら……自然研究のほうがよっぽどましだな。そんな病気にかかりっこないからです。」

「私は多くの弁証法患者は、自然を研究すれば効果的に治療できるだろうと確信していますよ。」

自信満々のヘーゲルもゲーテにはかなわなかった。

後年、精神を病んだ「弁証法患者」が歴史を大きく動かしていきます。

-続く-

(以上ここまで、[ゲーテの告白 日本を滅ぼす「B層」の正体](適菜 収/著)より、引用)

 

さて、弁証法について、補足します。


 

ヘーゲルの弁証法
ヘーゲルの弁証法と呼ばれているものには、『精神現象学』の中で順序立てて詳細に述べられている「意識の弁証法」と、一般に単純化・形式化された形で言及されている「弁証法(的)論理学」の2種類がある。両者は抽象的には同じものだとも言えるが、叙述のされ方に差異があるので、以下、それらを別々に説明する。

『精神現象学』における弁証法
ヘーゲルが求めるのは、形式主義・操作主義によって獲得される表層的・外形的・空虚な個々の「体系知」(science)とは異なる、自然的実在のありのままの本質的規定・法則性(つまりは、絶対者・真理)の概念的把握である哲学、すなわち「学知」(Wissenschaft)である。そこで、人間の精神(意識)が、己の性質に則って、己にとっての「真・有」と「知」のズレを修正していく自己措定運動(「意識の弁証法」「意識の経験の学」)を経ながら、どのように「学知」(Wissenschaft)の完成へと到達していくのか、それを順序立てて叙述・描写するのが『精神現象学』である。

それは以下のような段階を経る。

意識(対象意識)
感覚的確信
知覚
(知覚的)悟性
自覚(自己意識)
理性
精神
精神
宗教
絶対知
矢崎美盛は、こう書いている。

しばしば、ヘーゲル哲学の方法は弁証法であると言われている。そのことは正しい。しかしながら、もしも、ヘーゲルがあらかじめ弁証法という方法を形式的に規定しておいて、これを個々の対象思考に適用するという風に考えるならば、それは由々しき誤解である。ヘーゲルは、おそらく、その全著作の何処を探しても、方法としての弁証法なるものを、具体的思考から切り離して、一般的抽象的に論考したためしはない。彼はただ対象に即して考えるにすぎない。彼が対象に即して、対象の真理を具体的に把握するに適するように、自由に考えながら進んでいった過程が、いわば後から顧みて、弁証法と呼ばるべき連鎖をなしていることが見出されるのに過ぎない。極言すれば、理性的思考がいわゆる正反合の形態を具えているということは、抽象的形式的に基礎づけることは出来ない事柄である。そして、いわゆる弁証法的契機(例えば綜合)の具体性ということも、結局、対象を内包する理性内容の具体性に依存するものに外ならない。それ故に、ヘーゲルの哲学を理解するために、その内容から切り離されたいわゆる弁証法だけをとり出して、これを解釈したり論考したりすることは、むしろ不必要である。
—矢崎美盛著『ヘーゲル 精神現象論』大思想文庫 第21、岩波書店、1936年
高山岩男は、こう書いている。

自覚の現象学は自己自身の意識、即ち自己認識を種々の人生経験により考察する現象学である。従って自覚の現象学の内容は人間界である。自然の事物の知識を事とする現象でなく人間界に於ける自覚を事とする経験である。こゝに於ける知は行って知る知であり、自覚の経験は本来的に実践的な生活行動である。前述の意識の段階は姿を変えて自覚の中に内在する。物は知覚的に知られる物ではなく同時に行動の対象としての物である。我は知覚や悟性の自我ではなく行動する自我である。自覚は行動我の自覚である。
—高山岩男著『辨證法入門』アテネ文庫 第53、弘文堂、1949年

弁証法(的)論理学
ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben, 止揚,揚棄)される。このアウフヘーベンは「否定の否定」であり、一見すると単なる二重否定すなわち肯定=正のようである。しかしアウフヘーベンにおいては、正のみならず、正に対立していた反もまた統合されて保存されているのである。ドイツ語のアウフヘーベンは「捨てる」(否定する)と「持ち上げる」(高める)という、互いに相反する二つの意味をもちあわせている。なおカトリックではaufhebenは上へあげること(例:聖体の奉挙Elevation)だけの意。

ソクラテスの対話と同じように、ヘーゲルの弁証法は、暗黙的な矛盾を明確にすることで発展させていく。その過程のそれぞれの段階は、その前の段階に暗黙的に内在する矛盾の産物とされる。 またヘーゲルは、歴史とは一つの大きな弁証法、すなわち奴隷制という自己疎外から、労働を通じて自由と平等な市民によって構成される合理的な法治国家としての自己統一へと発展する「精神」が、実現していく大きな運動だと認識した。ここに弁証法は、(アリストテレスのそれが存在の論理であったのに対し)運動の論理として成立している[5]。しかし、下記に記されているように、この運動性が民衆側中心でなく国家側中心に眺められているという不全さがあった。

「 Thesis, antithesis, synthesis」も参照

マルクス主義における弁証法
カール・マルクスは、世界は諸事象の複合体ではなく諸過程の複合体であることを指摘した点をもってヘーゲルの弁証法を高く評価しているが、ヘーゲルは「頭でっかち」で「逆立ち」しており、彼の考えを「地に足をつけた」ものにしなければならないと主張した。すなわち、ヘーゲルの観念論による弁証法における観念の優位性を唯物論による物質の優位性に反転させることで唯物弁証法(弁証法的唯物論)またはマルクス主義的弁証法が考え出された。世界は観念的な神や絶対知に向かって発展していくのではなく、物質、自然科学に向かって発展していっているとするものである。

この弁証法を歴史の理解に応用したものが史的唯物論(唯物史観)であり、この見方はマルクスやエンゲルス、レーニン、トロツキーの著作に見て取ることができる。この弁証法は、マルクス主義者の思想の核心的な出発点となるものである。

エンゲルスは『自然弁証法』において、唯物論的弁証法の具体的な原則を3つ取り上げた。

「量から質への転化、ないしその逆の転化」
「対立物の相互浸透(統一)」
「否定の否定」
これらがヘーゲルにおいても見られることをエンゲルスも認めている。1は、量の漸次的な動きが質の変化をもたらすということをいっており、エンゲルスは例えば、分子とそれが構成する物体ではそもそもの質が異なることを述べた。2と3に関するエンゲルスの記述は少ない。しかし、2はマルクス主義における実体論でなく関係論と結びつく内容であるといわれる。つまり、対立物は相互に規定しあうことで初めて互いに成り立つという、相互依存的で相関的な関係にあるのであって、決して独自の実体として対立しあっているわけではない、ということである。3はヘーゲルのアウフヘーベンと同じである。エンゲルスによれば、唯物論的弁証法は自然から弁証法を見出すが、ヘーゲルのそれはちょうど逆で、思考から自然への適用を行おうとする。

また、エンゲルスは、ヘーゲルの弁証法の正当性は「細胞」「エネルギー転化」「ダーウィンの進化論」の3つの自然科学的発見によって裏付けられたと考えた。

スターリン主義における弁証法的唯物論は、政治的イデオロギーの側面が非常に強かったため、だんだんと教条主義的、また理論的に破綻したものへと変わって行った。ソビエト連邦の哲学者の中で最も有名な人物は、エヴァリッド・イリエンコフである。彼は、レーニンの思想にある「弁証法的論理学を発展させるためには、マルクスの『資本論』の認識論をこそ最大限に利用すべきである」という指示に従い、観念論的偏向から解放されたマルクス主義的な弁証法の研究を続けた。

キルケゴールにおける弁証法
キルケゴールはみずからの弁証法を質的弁証法と呼び、ヘーゲルのそれを量的弁証法と呼び区別した。たとえば美的・倫理的・宗教的実存の領域は、質的に本質を異にし、そこにはあれもこれもでなく、あれかこれかの決断による選択、あるいは止揚による総合でなく、挫折による飛躍だけがある。

実存は、成りつつあるものとして無限への無限な運動、また単なる可能でない現実としてつねに時間的であり、その時間における運動は、決断とその反復において、時間における永遠を満たす。矛盾によって各々の実存に対して迫られた決断における真理の生成が、主体性の真理であり、主体的かつ実存的な思惟者は、いわば実存しつつ問題を解く。

絶対弁証法

上記のヘーゲルの、「運動の弁証法」が形式論理内にある弁証法としてはアリストテレスのそれよりも代表的だったところ、西洋に特有の無矛盾の静的な(もしくは無矛盾化する運動を可能とする)形式論理、を超えた形式背理の側から、西田幾多郎が「絶対弁証法」であるとしているものがある。そこでは止揚されるべき矛盾はそれが可能な(形式論理下の)相対矛盾ではなく絶対矛盾であり、その結果、矛盾の止揚を経て自己同一性を保持するのではなく自己矛盾にあり、運動と静止が同時存在する。このようなニュアンスを帯びるため、これは弁証法と呼ぶべきでないとする主張が、同じく形式背理に即して西田の系譜にある木岡伸夫からもその著『<あいだ>を開く』で出ている。しかし、運動が未発ではあっても、怠惰のために静止にあるわけではなく、弁証法運動への精神は旺盛にあるが形式論理にある問題を見据えるために動けないのだ、ということを理解してここに添えておくのが、弁証法を総体的に、東西両洋を超えた視点で理解するために適切である。

否定的弁証法(/ヘーゲルの弁証法を正の弁証法とした意味での「負の弁証法」とも訳せる。)

直上の西田幾多郎が「絶対弁証法」と呼ぶものが、アドルノが1966年の書Negative Dialektikで「否定的弁証法/負の弁証法negative Dialektik 」と呼ぶものにほぼ合致している。時代的に西田の主張が先行している。(1949年刊行の西田幾多郎全集第XI巻に所収の論文「場所的論理と宗教的世界観」では既に使われている)アドルノのその呼称で意味するものは、「存在するものと考えられるものとの間の同一性という概念を前提としないような、またそのような概念のうちに帰着しないで、まさしくその反対物を明示しようとする、つまり、概念とものとの間の、主客の間の、分離志向を、そしてそれらの間の非宥和性を、明示しようとする哲学の起草」である。西田が形式論理への批判という根源的否定性から行きついているに対して、アドルノの“否定的”弁証法には、存在の同一性に基づいたものである形式論理を否定するまでの否定性はない。

 

–(以上Wikipediaより抜粋、引用

 

御幣を恐れず平たくいうと、「頭でっかちになったら、自然に学べ」ということでしょうか。

最近、自然を体感したのはいつですか?

またぜひお会いしましょう^^

Ciao

 

 

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